

今日はよろしくお願いいたします。私は2007年に大学を卒業してから新潟県社会福祉士会に入会したので、まだキャリアは浅いんです。社会福祉士会の歴史などをお聞かせいただければと思います。
第1回の社会福祉士国家試験が平成元年に創設されました。そのときに、周りから「お前が取らなければ誰が取るんだ。」って言われてさ。平成元年に全国社会福祉協議会の通信課程(中央福祉学院)に入って、平成3年に資格を取りました。社会福祉士の登録番号って、今はもう結構な数になったでしょう。
私の社会福祉士登録番号が、たしか8千番台だったはずです。
私が547番。新潟県で一番若い登録番号だったのが、第1回の試験に合格した県職員の方で、80番だったと思う。その頃の人たちとさ、「やっぱり、団体作らなきゃダメだよね。」って話になってさ。社会福祉士を取った人で集まって、連絡会や飲み会をやってたの。その会が発展して、平成4年1月に新潟県社会福祉士会という任意団体を作った。最初は会員が10人ちょっとですよ。
それが今や1300人を超えた!!

それから、色んな都道府県で社会福祉士会ができたんだよ。あの頃、全国組織としてはソーシャルワーカー協会の中に社会福祉士部会というのがあったんだけど、独立した社会福祉士の全国規模の団体が必要だという動きになって。でも、ただ仲良い人たちが集まって飲むだけではなくてさ、より質を高めるための活動をしようってなって、そこから研修をやるようになった。
そうやって、地道に会員を増やしていくという活動が始まったんですね。今はインターネットとかSNSとか、色んな広報の方法がありますけど、当時は大変だったと思います。松山先生は3代目の会長ですよね。
初代会長の大澤さん、2代目会長の近藤さんの時代、私は事務局長をやっていたんだよ。最初の事務局はここ(翠松保育園:新潟市西区)に置いたんだよ。一時的に「からし種の会」(新潟市西区)の高齢者のグループホームの2階を間借りさせてもらって、そこに書類や資料を置かせてもらったこともあった。新潟ユニゾンプラザに引っ越したのが平成12年だったかな。
それからは今の事務局の規模で活動をされていたんですか?
前はもっと狭い部屋で、何年か経ってから今の大きな部屋に移らせてもらった。新潟県社会福祉協議会(以下、県社協)は、当時から社会福祉士に理解があった。歴代の県社協の会長が社会福祉士会を評価してくれたんだよね。平成12年から介護保険制度が始まったり、成年後見制度が始まったときに、県や県社協の色々な委員会に社会福祉士を委員として出して欲しいって要望も増えてきて。そういった色んな活動をしている中で、社会的な評価もしてもらえるようになってさ。

松山先生が会長になられたのが平成14年。新潟県社会福祉士会の社団法人化も、公益社団化も松山先生の時代の功績です。新潟の会長も務めながら、日本社会福祉士会にも深く関わっておられましたね。
日本社会福祉士会は平成5年に発足して、平成9年に社団法人になった。その準備段階から関わってね。その後、理事をやって、最終的には副会長をやりました。社会福祉士会の活動の広がりのひとつのきっかけは、成年後見制度の開始かな。身上監護の面で社会福祉士への大きな期待があって、日本社会福祉士会としても養成研修や質の向上に取り組んだんだよ。
そういった初期の活動の延長線上に、私たちが立っていると思うと感動します。
日本社会福祉士会の役員として、全国の社会福祉士会に足を運びました。当時の正副会長4人で手分けして、全国を回って、現状の課題や将来のビジョンについて話し合った。日本社会福祉士会の役員として行っていないのは、沖縄県と宮崎県と千葉県だけかな。
すごい活動ですね。
北海道や九州、山陰は飛行機で行って、現地でレンタカーを借りて回った。それ以外は自分で車を運転して行ったね。当時は大学で教員をやっていたから、大学の授業が15時に終わったら、そのまま車で秋田へ行って、次の日は青森へ行って。でも翌日は長岡で研修講師の仕事があったから、21時過ぎに青森を出てなんてこともあったな。
ハードですね・・・。ご無事でよかった!
全国の社会福祉士会と関わってるとさ、中には癖が強めの人もいたよ(笑)。でも、新潟の社会福祉士会のメンバーは、みんな良識的でさ。社会福祉士の資格を大切にしようっていう共通の意識が根底にあった。高齢や障がい、児童といったそれぞれの分野で、社会福祉士の資格を大事にすると同時に、自分が活動する領域で社会福祉士の必要性をちゃんと考えていこうっていう気概があったね。

先生にとって、ソーシャルワークとは?大切にしていることはありますか?
人間の生活困難や課題は生まれてから死ぬまでずっと同じような状態ではないよね。環境が変わったり、身体や精神の状態が変われば、当然課題も変わってくる。それを適切にアセスメントすることができるかどうかが大事。そして、その課題を解決することができるような人や資源にきちんと結び付けること。「みんながこれをしたら喜んでたから、この人にもこれがいいんじゃないの。」ではないよね。目の前の困っている人にどういった背景があるんだろう、これから実践しようとする支援にどういう根拠があるんだろうって考えることが大切だね。
一人ひとりのライフステージ、それぞれの人生で、例えば20歳のときはこれが課題だったけど、35歳になったら別のことが課題になるということもある。それが改善される場合もある。その人の生きてきた背景を知ること、アセスメントが大事というのは日々感じています。当たり前だけど、私の人生とその人の人生は違うわけで、柔軟性を持って、広い視野で仕事をしないといけないと考えます。私は松山先生が教鞭をとっておられた新潟医療福祉大学の3期生なんです。先生のゼミでは国家試験対策の合宿があったと聞きました。
2泊3日とか3泊4日で、周りに何にもないへんぴなところで合宿をしてたの。合格率を高めようというより、絆づくりが一番の狙いだったんだよ。それだけ一緒にいれば絆ができる。それはさ、卒業して就職した後も、彼らの財産になるかなと思って。
社会福祉士会に入会して、しばらくは籍があるだけという状態だったんです。けど、今は会の活動を通じて、人脈を作ったり、職場以外の人と仲良くなったり、つながりを作ることが自分にプラスになっています。新潟県社会福祉士会の今後へのご意見や展望みたいものはありますか?

前から気になっているのが、会員数が頭打ちになってきていること。資格を取るのは出発点なんだから、そこから勉強しないとだよね。世の中はどんどん変わっていくから、会に入ることで、色んな人と関わることができたり、様々な視点を身につけることができる。それと、研修も大事なんだけど、そればっかりを強調し過ぎると、受講することができない人は会から遠のいちゃう。研修以外でも会員が集まって、話し合える場をどんどん作ればいい。一人で頑張るのって限界があるよね。自分一人だけでは見えないところを、他の人が教えてくれることもあるわけだし。そして、ただ話し合うだけじゃなくてさ、それを具体的に活用してみようって、アクションにつながればいいよね。
まだまだ聞きたいことがたくさんありますが、長時間お話をお聞かせいただきました。松山先生、ありがとうございました。