

新潟大学准教授(公的扶助論)。元生活保護ケースワーカー。ジャンプ・ファミコン・ガンダム世代(就職氷河期世代)。たまたま配属された生活保護の仕事にどっぷりハマり、ライフワークへ。好きなものは生活保護とビール。
会社員から福祉職に転職し、施設や小学校での相談員を経て2008年に見附市役所入庁。現在は市民相談係係長。休日はEXILEのライブやアルビBBの応援でリフレッシュしています。
箕輪さんとは公的扶助研究会で一緒に活動をしているんですけど、改めて、今はどんな業務に当たっているんでしたっけ?
見附市役所の市民税務課に所属しています。生活相談、消費者相談、行政相談、DVや女性相談、防犯など、幅広いご相談を市民の皆さんからお受けする窓口業務に携わっています。
その部署で箕輪さんの社会福祉士としての専門性はどういったところに活かされてますか?
相談に来られる方の抱える問題は複雑化しおり、その背景を丁寧に読み解くには、専門職としての視点がとても重要だと感じています。たとえば、表面に出ている問題の裏にDVが潜んでいる場合など、相談者の言葉の奥にある思いや状況に気づく『アンテナ』のような感覚は、専門職ならではのものだと思っています。
確かに。相談に来られた方の言葉にならない、もしかしたら自分自身でも気づいていないかもしれないSOSを察知する能力は専門職ならではですね。ちなみに見附市役所には新卒で入ったんだっけ?
いえいえ。高校生の時は、社会科や歴史が好きで教員になりたいと思っていました。教員免許が取得できる大学に入学し、教育学を学ぶ中で、知的障がい者に関するゼミに入りました。当時は、『精神薄弱』という表現が使われていた頃ですが、そうした領域に触れるうちに、「人と向き合い、支えるって面白い!」と感じるようになり、関心が深まっていきました。卒業後は、一般企業を経て、福祉施設で生活相談員として働いていました。ちょうどその頃、地元の市役所の採用募集を見かけ、地域に根ざした支援ができる行政の仕事に興味を持ち、挑戦することにしました。

社会福祉士の資格は?
福祉施設での勤務を通じて、社会福祉士の資格がなければ担えない業務があることを知り「資格が必要なんだ」と実感し、専門学校に通い直して受験資格を取り、社会福祉士の資格を取得しました。振り返ると、相談援助の分野でしっかりとした知識と技術を身につけたいという思いが徐々に強くなっていったように思います。
箕輪さんにとって、スーパーバイザー的な人はいたんですか?
自分にとっての“スーパーバイザー”的な存在は特にいませんでした。でも、一緒に悩んでくれる仲間の存在が大きかったですね。仲間とともに考え、学びながら成長してきたという実感があります。
なるほど。市役所の初任で福祉事務所だよね?
はい。市役所に入って最初の配属は福祉事務所で、10年間勤務しました。最初は全然楽しくなかったんです。何をどうすればいいのかも分からなくて、ひたすらケース記録を読んでいるような毎日でした。そんなとき、ある方から「あなたの仕事は訪問することです。」と言われて、「あ、被保護者(以下、「利用者」)を訪問することが、自分の求められている業務なんだ」と気づかされました。とはいえ、最初の訪問はしどろもどろで。「あの、担当になりました…。」とたどたどしく話しかけるような状態で(笑)。でもそこから、「これはちゃんと勉強した方がいいな」と思い、本を読んで勉強していました。そんな中で、社会福祉士会の存在を知り、入会しました。
社会福祉士会に入ってみてどうでした?
社会福祉士会に入って、勉強を重ねるうちに「学ぶことで知識は身につくし、技術も磨かれる」ということを実感しました。そして、その知識と技術を現場で実践できることがすごく面白くなりました。

箕輪さんと言えば、庁舎の敷地内に畑を作ったっていう武勇伝がありますね。あれは全国的に見ても凄いこと!
庁舎内に畑を作った話もよく話題にしていただくんですが、施設管理も担当していた係でもあり、「あそこ、土地が荒れているから何とかしろ。」と言われて、「じゃあ、何か植えよう。」と思い立ちました。当時は、まだ、フードバンクがなくて、食べ物がないという相談があっても、すぐに応えられませんでした。それなら「ここに野菜を育てればいいのでは?」という発想から始まりました。ありがたいことに、利用者の高齢者や離職中の方など、手伝ってくださる方は多かったです。作業を通じて会話が生まれ、生活のリズムが整い、体調も安定するような変化も見られました。
あれは何か先進事例があって、真似してやったとかじゃないわけでしょう。その発想が凄い。
作業に参加できない利用者からは苗や肥料についてアドバイスをいただいたり、提案を受けたりすることもありました。「体調はどうですか?眠れてますか?」っていう話ばっかりではなく、あの畑のおかげで話題の幅が広がりました。
公的扶助研究会でも活躍していただいていますし、書籍も執筆したり。箕輪さんの活動の幅がどんどん広がっているなぁっていう印象を持ちます。
中村さんのおかげです(笑)。やはり、評価してくれる人や共に喜び合える仲間の存在は何より励みになります。
そうなんだよね。人の縁は仕事の幅を広げてくれるよね。それを支援者側とか、自分のためだけじゃなくて、ご利用者も巻き込んだ大きなつながりにしたいよね。
本当にそう。身寄りのない女性の就職就労支援に関わったことがありました。私が異動してからも彼女は、時々、「まだ仕事続けています。あのときは自信なかったけど、職場でいい人に恵まれました。」と報告に来てくれるんです。つながりが継続していること、誰かに“つながっている”という安心感が生まれたことが何よりうれしいです。
その方が定期的にご自身の現状を報告できる相手ができたってだけでも成果だと思う。報告するのだってエネルギーがいるわけだから。パワーレスになっている状態の方に対して、丁寧に関わることによって意欲が回復してくる。そこから行動が始まって、その成果を報告することができる。成果っていうのは自分でやると過大評価になる危険もあるけど、人に話すことで客観的になれる機会になる。それって大事ですよね。支援者側も客観性が抜けちゃうと、ご利用者に迷惑をかけることになる。それって私たちの仕事が失敗してるってことだから。適切な評価を自分にも、自分が携わった仕事にもしなければいけない。多少は自分に痛みがあっても、振り返りって必要なことだと思います。
ソーシャルワーカーとして大事にしていることってありますか?

私が大切にしていることは『つなぐ』ということです。縁を結ぶこと。その人と支援者とのつながりをつくり、途切れさせないこと。虐待対応で関わった子が「俺、頑張ってるよ。」と報告に来てくれたこともありました。あのときはまだ小さかった子が、きちんと大人になっていて・・・・・・本当に嬉しかったですね。私一人の力ではなく、多くの人の力があってこその支援です。だからこそ、横のつながりを大切にしていきたいです。
それはいい体験をしたね。活動の励みになる。では、最後にこれからの10年のビジョンややりたいことを教えて下さい。
これからの10年は、ただ『窓口で待つ』支援から、『こちらから出向く』支援=アウトリーチ型の支援へと、行政の姿勢そのものを変えていけたらと思っています。もちろん、行政職員だけで担うのは限界がありますが、その必要性を理解して地域で一緒に動いてくれる仲間を増やしていきたい。そうした仲間が地域の力になっていくと信じています。
地域づくりの視点だね。ひとりの仲間として、今後の活躍を楽しみにしています。